2018年7月16日(月)
長野県と岐阜県の県境に位置する乗鞍岳(のりくらだけ)。
3,000mを超える標高ながらも、美しい日本アルプスの景観と、最盛期のお花畑を楽しめるということで、初心者ハイカーにも大人気の山です。
そんな乗鞍岳に妻と登っていたとき、僕はじわじわと忍び寄る腹痛に襲われました。
徐々に増してくる未体験の痛みは、言葉で表すことは出来ず、今思い出しても恐怖です。
命からがら下山をした後、かけこんだ病院は、松本共立病院です。
※松本共立病院といえば、集団インフルエンザ感染で職員35名が発症したとの報道により、2019年1月に話題になった病院ですが、とてもいい病院でしたよ。念のため。
猛烈な激痛の原因は、急性虫垂炎でした。いわゆる盲腸です。
医師の説明を聞いた上で、今後のことも考えて、その日中に手術を行うことを決断。
普段は東京で仕事をしていた33歳のサラリーマンが、長野県というアウェーの地で緊急入院することになった物語の始まりです。
※ちなみにこの記事は、猛烈な腹痛と、手術・入院といった目まぐるしい変化により、必ずしも記憶が正しくない部分もございます。ご理解の上、お読みください。
楽しかった登山から一転しての緊急手術
腹痛に至るまでの経緯
冒頭でお話した通り、乗鞍岳の登山中に腹痛に襲われ始めました。
そのあたりの経緯は、以下の記事に詳しく書いてありますので、ぜひ読んでみてください。
病院へ運ばれるまで
乗鞍岳は、環境配慮のため、登山口までのマイカーアクセスは禁止されており、シャトルバスに乗って向かう必要があります。
それはつまり下山時も同じということです。
登山口に設けられたバスターミナルから、長野県松本市の下界へ下りるまで、バスに50分乗車する必要があります。
本当は救急車呼びたいぐらい痛かったのですが、謎の根性(?)で耐え抜きました。
50分間のバスを耐え抜き、降り立った地は乗鞍観光センター。
この日は海の日3連休の最終日でした。
僕らも、乗鞍岳登山を終えた後は温泉にでも入って、夕方には東京に戻る予定でした。
ここで救急車を呼べれば良かったのですが、不運なことにレンタカーを夕方17時までに駅前に返却しなければならず、可能な限り自分たちで病院に行こうという判断に。
(いま考えたら、レンタカーなんて後回しでもよかったんだろうけど、当時は妻も気が動転していたし、僕も正常な判断が出来る状態ではなかった。)
僕は駐車場の片隅にうずくまり、この世のモノとは思えぬ痛みと格闘。
妻は、祝日でも緊急外来を受け付けてくれる医療機関を探してくれて、松本共立病院へ向かうことに。
妻「さぁ!病院に行くわよ!車に乗って!!」
僕「ありがとう、、どれぐらいかかるの・・・?」←会話するのもキツイ
妻「一時間ぐらい!」
僕「・・・( ゚Д゚)マジ?」
こんな痛み、あと1時間も・・・
やっぱり救急車呼んだ方がいいんじゃね?
僕死ぬんじゃね?
新婚なのに死ぬんじゃね?
そんなことをぐるぐる考えていたら、あまりの激痛に体力消耗が激しくて、半分意識を失ったような状態に。
それはそれで痛みとの格闘から解放されていた時間だったので、ある意味助かったような感じでしたが、意識を取り戻すたびに、悶絶する痛みが復活します。
僕「あと何分ぐらい?」
妻「45分ぐらい!」
僕「( ゚Д゚)マジ?」
まだ15分しか経ってなかったのかよ…
やっぱり救急車呼んだ方がいいんじゃね?!
僕死ぬんじゃね?!
新婚なのに(以下同文)
ぐるぐると同じことの繰り返しです。
まさに地獄の1時間でした。
病院に着いてから診察まで
僕「…あの、お腹が痛くて…」
看「はい?!大丈夫ですか?!」
妻「お腹が痛いって言ってるんです」
あまりの痛さに声も出ない。
看「お腹が痛いんですね?他にはどこか痛いところは?」
僕「…うぐぐ…」←応えられない。
看「熱中症かしら?」
僕「…(絶対違う)…」
あろうことか、この日の外気温は35度超え。
熱中症と見られる症状の救急患者が、次々と救急車で運ばれてきたせいで、僕も熱中症だと思われてしまったようです。
看「順番に診ますから、そこに掛けてお待ちくださいねー」
そう告げられ、待合室のベンチを指示されました。
(くそ…やっぱレンタカー運転してきた患者より救急車優先なのかよ…うぐっ。)
多分そんなことはないんでしょうが、この時ばかりはそう思っていた自分がいました。
そして座っていることも耐え切れず、ベンチで横になっていると。
看「大丈夫ですか?待てますか?」
僕「…無理です。。痛すぎて。。」
看「ベッド用意しましょうか?」
僕「…お願い…します…」
分かってくれるスタッフさんで良かった。。
しかし、下山後そのまま病院に直行しているもんだから、来ているものは派手な登山ウェアだし、汗臭いし、、
恥ずかしさと申し訳ない気持ちで一杯になった。
診察から手術決断まで
無事ベッドにありついた僕ですが、痛みが引く気配は一向にありません。
(こんな状況なのに写真撮ってる僕もどうかと思うけど)
しばらく待っていると、お医者さんがベッドに来てくれました。
医「どこが痛いのかなー(グイッグイッ👉)」
僕「うぎゃああぁぁあ」
医「ははーん。横向ける?」
僕「ぐほぉぉぉ」
医「とりあえず痛み止めの点滴を打とう」
医師の指示のもと、ちゃっちゃかと準備が進みます。
すると、どうでしょう。あらあら痛みが引いていくではありませんか。
(なーんだ、やっぱりなんか悪いモノでも食べっちゃったのかな)
そんなことを考えていると、レントゲンやらなんやらを撮るとのこと。
病院内を移動する必要があるということで、点滴スタンドを持ちながら車いすに乗せられて移動しました。(なんか患者みたい←患者です)
そして、診断の結果を聞く時が来た。(妻と一緒に)
医「痛みの場所とレントゲンの結果からして、虫垂炎と思われます」
僕「ちゅう?(=゚ω゚)ノ」
医「はい、盲腸ってやつです。」
医師の説明はこうだ。(たぶん)
●点滴を打ち終わっても、痛みが出なければ炎症は治まったことになる
●レントゲンを見る限り、手術マストではない
●だが手術をしないということは、再発の可能性が残ることになる
●今夜は東京には帰らず、一晩様子を見た方が良い
●翌朝帰れそうなら、東京に帰ってから馴染みの病院とかで手術しても良い
●手術したら3~4日は入院が必要
僕は考えた。
●もし痛みが治まっても再発の可能性があるなら、手術しちゃった方がいい
●長野だろうが東京だろうが手術したら4日入院なら、早い方がいいんじゃね?
●いずれにせよ今夜ここに泊まるなら、しちゃった方がよくね?
●でも2週間後には白馬岳に登る予定がある←これ一番大事w
僕「手術後は、運動できるもんなんですか?」
医「運動って、例えば・・・(ウェアを見て)あ、登山?」
僕「はい、2週間後にも予定が。」
医「術後の痛みが引けば別に構わない。でも、1か月ぐらいは控えた方がいいと思う」
僕「ちーん(´・ω・`)」
●この夏の最盛期に1か月も登れないのは拷問や・・・
●でも長期縦走中とかに再発したら今度こそ死んでしまう
●盲腸を切っておけば再発はゼロだし、秋以降は登り放題?!
僕「手術しますっ!!」
いざ手術!
手術するとなったら、いろいろと書類を書くことになります。
今飲んでる薬があるかとか、入院の手続きとか。
あとは、全身麻酔の手術なので、同意書とか。
多分妻も何か書かされていたと思う。
そしてヒゲと、ヘソ回りのギャランドゥを剃られたw
(多分、手術の管とかを入れる関係だと思う)
その間、妻はもともと乗る予定だったあずさチケットを翌日へ変更し、レンタカーを松本駅前に返却して、今夜泊まるビジネスホテルを予約した。
そして、人生初の手術なので、実家に電話しました。
僕「今さー、長野にいるんだけどさー、手術することになった」
母「ハァ?!なんで?!?!」
僕「盲腸なんだってー」
母「盲腸?!(お父さんー!盲腸だってー!)」
僕「んで、今日から4日ぐらい入院だってさー」
母「あらら、お金はあるの?!」
僕「小学生かよ」
そんなこんなで、慌ただしく時間は過ぎていき、気が付けば手術の時間に。
再び車いすに乗せられ、オペ室へ。
看「奥様はここまでです。」
僕「じゃーねー!ばいばーい!(=゚ω゚)ノ」
妻「小学生かよ」
オペ室は静かで、埃ひとつ許さないようなひんやりとした空間でした。
指示された通りに寝て待っていると、ぞろぞろと医師たちが入ってきて。
「このマスクを口に被せるけど、すぐ眠くなるからね。」
・・・
・・・・
・・・・・
そして目が覚めた時には、病室のベッドに横たわっていました。
人生初の入院生活
術後は麻酔で頭がボーっとしている
(シュゴー。シュゴー。)
(・・・なんか聞こえる・・・)
(・・・足を揉まれている・・・?)
どうやら、エコノミー症候群防止のために、足先を自動で揉む機械が取り付けられているみたいでした。
目を開けてみると、そこには登山ウェアを着た妻がいた。
(あぁ、、そうか、、乗鞍岳登ってて腹が痛くなって、、)
(妻は病院まで運転してくれて、、)
(その後僕は手術して、、どうなったんだっけ?)
よく状況が整理できていない状態だったが、妻が何やら話しかけてくる。
(・・・はどう?)
(痛みは・・・る?)
何を言っているのかよく聞こえず、意識が朦朧とする。
(あし・・・しご・・・で・・・たしがしよ・・・)
何を言っているんだろう。
(明日・・・仕事・・・電話・・・私がしようか?)
ああ。。明日は平日か。。
「入院で休む連絡を会社に入れてあげようか」と言っているのか。
(しゅじ・・・まくいった・・・だよ)
「手術うまくいった」って言ってるのかな。
(・・・よこいんに・・・まるか・・・つかまえ・・・ころよ)
「今夜は東横インに泊まるからね、2日前に泊まったところよ」
唇を見て、そう言っているのが分かった。
(じゃぁね)
朦朧とする中、これは夢なのか現実なのか、泡沫の意識のまま、時が過ぎていった。
手術後、妻は
手術中、妻は病院の待合室で待機してくれていたようで、
手術が終わってから、担当医とこんな話をしたそうです。
医「レントゲンでは分からなかったんですが、手術してみたら思いのほか盲腸がねじれていました。あれではかなり痛かったと思いますね。ご主人の判断は賢明でした。」
そうして、実際に切除した盲腸部分を見せられたようです。
見た感想は「モツみたいでグロッキーだった」とのこと。
申し訳ねぇ。
術後の痛みとの闘い
7月17日(火)
看「くまさーん、おはようございまーす」
どうやら朝になっているようでした。
そして、目が覚めて徐々に意識が戻ってくると、チ〇コに違和感を覚える。
なんか、、痛痒い・・・?
何人かのナースがベッドの周りで作業をしているようで、いろいろな数値をメモったり、僕の身体のあちこちをチェックしているようでした。
そしてチ〇コの違和感の正体が分かって、どうやらおしっこを自動排泄するためのカテーテルが、チ〇コに突っ込まれていたようで・・・
看「抜きますねー」
僕「え、ちょ、え、」
Σ(゚Д゚)‼
何て言ったらいいんでしょう、、
チ〇コに突っ込まれてた管が抜かれるときの感覚。。
痛いのは間違いないんだけど、金玉蹴られた時に似た絶望感みたいなのがありました。
(一瞬で終わったのが救い)
こんなことも人生初体験していると、妻が見舞に来てくれました。
(変なとこ見られなくてよかったw)
この日は平日ですが、妻も仕事を休んでくれたようです。
看「くまさん、昨日からお風呂入ってないでしょ?シャワー浴びてくる?」
病院のシャワールームを使用させてもらい、一日遅れで登山の汗を流すことに。
ベッドから起き上がろうとしたその時、ヘソに激痛が走る!
どうやら、僕の手術はヘソを切って、管を入れて、盲腸を退治するという方法だったようで、ヘソが縫い付けられていて、姿勢を変えるとヘソが異常に痛むのです。
歩く時も、普通に立つとヘソが引っ張られて痛いので、おばあちゃんみたいに腰をかがめて歩くはめに。
妻に手伝ってもらいながら、体全身を洗って、きれいさっぱり。
シャワーから帰ってくるとナースとこんな会話に。
看「山に登りに来たんですか」
僕「そうなんです」
看「どこかオススメの山とかありますか」
僕「八ヶ岳とか近くていいんじゃないしょうか。僕も一昨日登ってきましたが、きれいでしたよ」
看「そうなんですね~。ところでガスは出ていますか」
僕「いえ、めっちゃ晴れてましたよ」
看「はい?」
僕「はい?」
この時は全く理解していませんでしたが、お腹周りの手術をした後はガス(=おなら)がきちんと出ているかどうかを確認することによって、術後の経過が順調かどうかをチェックしているようです。
この後何度もガスはどうですか~と聞かれました。
いと恥ずかしや。
入院~退院まで
手術翌日の昼食からご飯が出てきました。五分粥です。
病院の食事って期待してなかったけど、普通に美味しかったです。
昼食を食べ終わると妻が東京へ帰ってしまいましたが、入れ替わりで、両親が見舞に来てくれました。
僕のベッドはこんな感じ。
パジャマやら歯ブラシやら、必要なものを持ってきてくれました。ありがたや。
「何か食べたいものある?」と聞かれ、フルーツゼリーと答えたら、病院一階の売店で買ってきてくれました。
医師にもゼリーを食べさせる許可を取ってから買ってきたようでした。
夜ご飯は七分粥になりました。
この後就寝でしたが、最初の2日間ぐらいはヘソの痛みがひどくて寝返りもなかなか打てず、睡眠不足の夜が続きました。
7月18日(水)
朝ご飯。お粥ではなく普通のご飯へと。嬉しい。
お昼ご飯。だんだんと固形物が増えてきました。
ちなみに、入院中はめっちゃヒマです。
幸いにも共有スペースみたいなエリアに、BAKUMAN(漫画)が置いてありましたので、それをずっと読んでいました。
4巻までしかなかったけどw

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あとは、夕方になると大相撲を見ていました。
この名古屋場所で順調に勝ち星を重ねた御嶽海(みたけうみ)は、長野県出身ということで、病院全体で応援していましたw
夜ご飯。ビーフシチュー!うま。
7月19日(木)
朝ご飯。スイカゲッツ。
相変わらずヒマなんですが、1~2時間ごとに回診がやってきます。
経過が順調とのことなので、明日には退院できるとのこと。
お昼ご飯。八ヶ岳牛乳ゲッツ。
昨日に引き続き、この日もあまりにヒマだったので院内を散策。
僕の部屋があるフロアです。
こちらが共有スペース。ここにBAKUMAN(4巻まで)が置いてありました。
夕方になると、みんながここに集まって御嶽海を応援していました。
冷蔵庫も置いてありますので、親が買ってきたゼリーはここで保管してました。
自動販売機なんかもあります。
これが病院一階にある売店。
中は普通のコンビニと変わりありません。
あまりにヒマなので、テレビを何気なく見ていたら、登山の天気予報なんかもやっていたり。
さすがは長野県です。
最後の晩餐です。
この日も、相変わらずヘソの痛みはあるものの、だいぶマシになり、まとまった睡眠がとれるようになってきました。
7月20日(金)
最後の朝食です。
10時前後に退院の手続きをするとのことなので、準備を進めると、再び両親が登場しました。
「重い荷物背負って一人で電車で帰るには厳しいだろう」という判断のもと、長野から東京まで送ってくれるとのこと。申し訳ねぇ。
退院時の会計をカードで支払おうと思ったら、入院時に渡されていた案内をよく読んでおらず、現金のみということを今さら知るトラブルもあったりしましたが、駅前のゆうちょで下ろしてなんとか事なきを得ましたw
社会復帰まで
退院したのが金曜日で、土日もゆっくり休めば月曜からは会社に行けるだろうと思っていましたが、そう甘くはなった。。
まず、ヘソの痛みが相変わらず引かなかったのが大きな原因です。
加えて予想外だったのは、ヘソが臭い。めっちゃ匂うんです。
術後の痕が膿んでいて、ムワっとした匂いが漂っていて臭いんです。
お風呂で丁寧に洗ってもしばらくは臭かったので、会社のみんなにも迷惑かけちゃうかなぁと思い、月曜と火曜もお休みを頂きました。
結局、10日間ぐらい会社に行くことが出来ませんでした。
これでも一応マネジャーの僕は、他のマネジャーや部下にも多大なる迷惑をかけてしまいました。
まぁ、この後退職して独立開業したので、もっと迷惑をかけることになったんですけどねw
おわりに
虫垂炎(盲腸)という病名はよく聞きますが、ここまで痛いものだとは思っていませんでした。
前兆と呼べるようなものは特にありませんでしたが、実体験をもとにして、虫垂炎(盲腸)の見分け方をメモとして残しておこうと思います。
- 初めはヘソの上(みぞおち)が張ってくる
- その後、胃のムカつきのような感覚になる
- 最後に、右の下腹部に痛みが移動して激痛
1~2のうちは我慢できる痛みですが、3になると言葉になりません。
そもそも盲腸はその存在意義がないのではないかと言われるぐらい小さな器官であるため(諸説あり)、諸外国では生まれてスグに盲腸を切ってしまうこともあるそうです(諸説あり)。
ただ、盲腸を切ってしまうと、大腸がんになるリスクが増すという研究結果もあるため、切除するかどうかは医師の指示に従った方がよいと思われます。
退院後、1ヶ月間は運動は控えるようにと言われていたため、2018年の夏の登山は、この時点で終了してしまいました。
本来であれば、白馬岳とか北海道とかいろいろ予定を立てていただけにとてもショックでしたが、健康であることが一番です!
登山中に虫垂炎になって、長野で手術&入院という珍しい体験をしましたが、
ぜひ皆さんも健康第一で登山を楽しみましょう!!
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
(乗鞍岳の絶景より)